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香りのエッセイ

■第十六話 ブルボンバニラとタヒチバニラ

第十六話 ブルボンバニラとタヒチバニラ

casselmillefeuillevanillepicture【私たちにとってのバニラ】

皆さんは「バニラ」と聞いてどのような印象を持たれるでしょうか?

 

 

一般的にバニラのイメージは、アイスクリームのもっともスタンダードな味といった感が強く、面白みに欠けるものかもしれません。

 

 

1874年ハーマン&ライマー社(現シムライズ社)が、バニラの主要な香気成分であるバニリンを合成し、それ以来科学技術の進歩につれすっかり陳腐なものになってしまったこの香りですが、今でも本物のバニラビーンズは高級食材で、これを使った食べ物を口にした時に感じられる味わいは、決してありふれたものではなく、贅沢で忘れられない印象的なものです。

 

 

また、食品業界で重要なバニラですが、最初の現代香水と呼ばれるゲラン社のジッキー(1889年)に、このバニリン(合成香料)が使われているように、バニラはフレグランスにとっても欠かせない香りです、その役割は甘さを与えるだけでなく官能性を持たせる要素もあります。(私個人的には落ち着く香りでもあります)

 

 

今回はそんなバニラについてのお話です。

 

 

 

madagascanvanillapicture【バニラの歴史と名称】

メキシコ原産のバニラはラン科の植物の一種で、トトナカインディアン族によって発見されました。彼らは、そのままでは香気を持たないバニラビーンズを、キュアリングという酵素の働きや加水分解により、バニラの香気を作り出す工程を編み出し、現在のミルクココアの様な飲み物Chocolatlの香り付けに使っていました(この頃のキュアリングは熱湯を使わず天日に晒していた。また、Chocolatlはカカオと水、ハチミツを混ぜたものにバニラで香り付けをしていた)。それはトトナカ族を取り込んだ当時のアステカ帝国でも飲まれていて、1517年スペインからやってきたフェルナンド・コルテスにも振る舞われました。そしてコルテスはアステカを占領し、1526年にスペインに帰国、その後Chocolatlはヨーロッパの貴族社会へ広まりますが、その製法はしばらく明かされませんでした。

 

 

やがてバニラの切り枝はパリの博物館から植民地地方行政官によって1822年にレユニオン島に持ち込まれました。これが現在の代表的な品種Vanilla planifoliaの植物体でした。

しかしメキシコと違い、レユニオン島には花粉を運ぶメリポウンという小さな蜂がいなかったため受粉できず結実させることができませんでした。

そして1841年、レユニオン島の当時12歳の奴隷エドモンドにより受粉法が発見されました。熱い湯を通して行うキュアリング法が開発されたのは1851年で、それからバニラビーンズの輸出は加速しました。

 

 

やがてレユニオン人はその技術を持ってセーシェル諸島(1866年)、コモロ諸島(1873年)、マダガスカル(1890年)など周辺の島へ移住し、その生産量はレユニオンを上回るようになりました。

 

 

しかし、1874年にはドイツでハーマン&ライマー社がバニラの主要な香気成分であるバニリンを合成し工業生産していました。その後、科学技術の発展によりバニリンの合成はより容易に、そして価格は安価になり普及していきました。

 

 

1964年には合成バニリンとの競争に対抗するため、合わせて世界の85%のシェアを持つ島々のマダガスカル、コモロ、レユニオン、セーシェルの代表がレユニオン島に集まり会議を行い、加盟国製品の共通の名前としてレユニオン島の旧称であるブルボンから取った「ブルボンバニラ」とすることに同意しました。しかし、この同意は産地により香りの違いがあってもブルボンバニラと称されるため、本当のレユニオン島産の製品を見分けることが困難になりました。2000年にレユニオン島産バニラ価格維持協会が地理的表示保護制度PGIを利用し、本当のレユニオン島産の製品を”Vanille de l’ ile de la Réunion”と呼ぶことにしました(ワインの産地表示で有名な原産地名称保護制度AOCだと、レユニオン島の微妙な気候や土壌の違いにより、細かく地理的に分割しなければならないため、生産量が少ないこの島には合わないと判断し、PGI名称を選択した)。

 

 

 

tahitianvanillapicture【タヒチアンバニラ】

バニラと言えばVanilla planifoliaという品種で、特にブルボンバニラと呼ばれるマダガスカル産やレユニオン島産のバニラが高品質として有名ですが、タヒチアンバニラVanilla tahitensisというポリネシア(タヒチ)やパプアニューギニアでごくわずかに栽培されている品種(現在でもこのバニラの起源は不明だが、Vanilla planifoliaの変種であると考えられている)もあり、スイーツ界では高級食材としてフレデリック・カッセル社のミルフィーユなどに使用されています。フレグランスではGuerlain社のL’instant magic elixirに使われているようですが、限定販売だったようで、残念ながら嗅いだ事がありません。

 

 

長らくマダガスカル産のバニラしか嗅いだ事、食べたことが無かった私は、フレデリック・カッセル社のミルフィーユや、ハーゲンダッツ社のクリスピーサンドなどタヒチ産バニラを使っているというスイーツを食べて首をかしげることになりました。「思ったよりバニラ感がないなぁ」と。

 

 

気になって香気成分を調べてみると、マダガスカル産バニラと比べてタヒチ産バニラは、バニラらしい甘さの特徴となっている香気成分バニリンの含有量が少なく、代わりにアニスアルコールやアニスアルデヒドの量が多い事がわかりました。

 

 

文献で調べてみても嗅いでみない事には始まりませんので、早速マダガスカル産とタヒチ産のビーンズを購入してみました。

さやの状態で嗅いでみても、キャラクターははっきりと異なりました。マダガスカル産は水彩絵の具にラム酒と醤油とバニリンを混ぜたような香りで、タヒチ産はラムレーズンとバニラクリームにフローラルな華やかさが加わったような香りです。

 

 

もう少し専門的に表現すると、マダガスカル産はバニリンの甘さの他にクローブ様の深みやフェノリックな薬品臭さがあり、ややスモーキーでアニマリックな要素が感じられます。一方タヒチ産はアニスノート由来の滑らかな香りにバニリンの甘さが加わってクリーミーに感じられるほか、ヘリオトロープのようなフレグランス的フローラルな広がりのある香気が存在します。

 

 

一言で違いを表現するなら、マダガスカル産は「深み」があり、タヒチ産は「華やかさ」があるということになるでしょう。

どうやら私はバニラの香気に深みの要素であるクローブやフェノールの様な薬品臭さを求めていたようです。

 

 

合成のバニリン単体にはチョコレートの様な強い甘さは存在しますが、複雑な深みや、華やかさはありません。味わいのあるスイーツにはこのあたりの要素が欠かせないでしょう。しかし、天然のバニラは高くて有名で、さらにタヒチ産はマダガスカル産の倍以上の価格です。バニラは実際の生産高より、市場に出回っている量の方が多いと言われています。タヒチ産のテイストを出すためにはバニリンにヘリオトロピンやその他の香気成分を補ってタヒチフレーバーを作っているようです。

 

 

 

vanillatincture14thpicture【バニラチンキを作る】

せっかく二種類のバニラビーンズを手に入れたので、より香りを堪能できるようバニラチンキを作ることにしました。アークテンダーを参考にして室温でエタノールに漬けること2週間です。見事にそれぞれの特徴を抽出したバニラチンキが出来ました。

 

 

ただこれらバニラチンキは濃縮されていないので、香りが弱いです。エタノールの量も多いので、すぐに揮発してしまいます。そのような問題点はバニリンやエチルバニリン(バニリンの3倍の強さを持つといわれる合成香料)が開発されたことによって解消されました。安いし強度と持続量があるので、本当に画期的だったのだろうと想像できます。

 

 

バニラチンキづくりの詳細は「ティーブレイク」のカテゴリー「バニラチンキづくり」をご参照ください。

 

 

 

【バニラを用いたフレグランス】

冒頭で紹介させていただいた通り、現代香水はバニラノートを使用したフレグランスから始まっています。そして現在に至るまでバニラを使った香りは沢山作られ、これから先も作られ続けることでしょう。

 

 

そのような中で、バニラの香りを堪能できる香水はゲラン社のシャリマーです。シャリマーというと1925年に作られ、オリエンタルノートの名香として紹介される「香水の中の香水」というイメージで少々近寄りがたい気すらするのですが、フレッシュなシトラスと昔懐かしい毛皮のコートのような香りの奥から徐々にバニラの香りが現われてきます。合成香料のエチルバニリンを使用している事で有名なシャリマーですが、その香りは頭の痛くなるようなべったりとした甘さではなく、官能と安らぎを感じさせる穏やかな香りです。ムエットではアニマリックな香りが強く感じられてしまうため、ぜひ一度肌につけて時間の経過による変化を楽しんでいただきたい香水です。

 

 

そこまでバニラ感が押し出されている訳ではないのですが、男性用では同じくゲラン社のロムイデアルがあります。こちらは2014年にゲラン社の5代目調香師ティエリー・ワッサー氏が創作したフレグランスで、バニラにアーモンドやトンカビーンズなどのグルマンノートとヴェチバーのアコードが魅力的な香りです。パルファン・クリスチャンディオール社のディオールオム(2005年)やパコ・ラバンヌ社のワンミリオン(2008年)など、ここ数年間このグルマンテイストなラストノートを持つ甘いメンズフレグランスが流行っていましたが、ロムイデアルはゲラン社の持つ優れた天然香料を活かした伝統的なスタイルと現代的な香調をみごとに融合させた傑作だと考えています。そしてこのフレグランス創作のインスピレーションの中に、現代香水の祖の一つである同社のジッキーの存在がありました。

 

 

上手く使いこなしているなぁと思うフレグランスとしては、フローラルとアンバーにバニラを効かせたシャネル社のチャンスや、ローズとバニラを見事に融合させたトム・フォード ビューティ社のノワール ドゥ ノワールなどがあります。

 

 

私個人の好みとしてはシャリマーを除いて、バニラ(バニリン)を全面的に押し出した香りより、上手くアコードに取り入れて、フローラルやウッディノートなど他の香りとのハーモニーを奏でたフレグランスの方が好きです。

 

 

 

今回のエッセーは、昔から気になっていたブルボンバニラとレユニオン島産の関係や、最近気になりだしたタヒチ産バニラについてのリサーチを元に構成しました。歴史や名称の部分は講談社さんのフレーバー・クリエーションと、フレグランスジャーナル社さんのバニラのすべてを参考にしています。より詳しく知りたい方は、この2冊を参考になさってください。

 

 

 

参考文献

オドゥー・エリック グリゾニ・ミッシェル著 谷田貝光克監訳『Vanilla バニラのすべて-起源・生態・栽培・生産・利用を網羅-』フレグランスジャーナル社, (2015)

ゴズラン・フレディ フェルナンデス・グザビエ著 前田久仁子訳『調香師が語る 香料植物の図鑑』原書房, (2013)

日本香料協会編『香りの百科』朝倉書店, (1989)

吉儀 英記著『香料入門』フレグランスジャーナル社, (2002)

ライト・ジョン著 藤森嶺 和智進一 寺本明子 相根義昌訳『フレーバー・クリエーション』講談社, (2014)

Arctander Steffen “Perfume and flavor materials of natural origin” Elizabeth, (1960)